多少軽率かもしれないが、ある対比をお許し願いたい。サロンというものが、我々に毎年供される、とてつもなく大きな美術のシチューだと想像していただきたい。画家、彫刻家はそれぞれ肉を送る。ところで、我々のお腹は敏感なので、味と様子がかくも多様なこれらの食糧を調理するためには、料理人のチーム全員を任命するのが安全だと考えた。我々は消化不良を恐れた。それで公衆衛生の番人に向かってこう言った。「とてもおいしい料理の材料がここにあります。胡椒は控えめにしてください。体をほてらせますから。ワインには水を加えてください。フランスは正気を失うことのできない大国ですから」。
そのときから、料理人が重要な役割を果たすように私には思われる。なぜなら、彼らは我々の感嘆に味付けをし、我々の意見の下ごしらえをするのだから。我々には何よりもまず、この愛想のよい男たちに関心を抱く権利がある。彼らは不味い食べものを貪り食う人々のように、我々が満腹になるまで食べぬよう気をつけてくれる。「ビーフステーキ」を食べる時、肉牛の心配をするだろうか。レアの焼き加減を間違えたビーフステーキをあなたに供したコック見習いに感謝しようか、それとも呪ってやろうかと、そのどちらしか考えないだろう。
エミール・ゾラ「わがサロン:審査委員会(1866年4月27日)」
『ゾラ・セレクション第9巻:美術論集』所収、藤原書店、2010年