Thursday, June 9, 2011

茄子の味噌炒めとビール

先日は、ひさしぶりに徹夜をしました。
内定が出た友人のお祝いで、黒澤清「キュア」を鑑賞し、安い(失礼)シャンパンを空けて、宅配ピザをとりました。それとコーヒーだけで、案外夜は明かせるものです。

その内定者が「時間を増やす手っ取り早い方法は徹夜だ」と改めて言うので、何か背後にある壮大な理論を感じてしまいました。

そして、今日は、なすの味噌炒めとビールを飲んでいます。ビールは、そのお祝いで残ったハートランドビール。茄子の炒め物をするときはフタをしめて水を出させることが大切、らしいです。

小学校の頃の親友であったコマキくんは茄子が嫌いでした。あの味においしさはないだろう、と。
僕は茄子がわりと好きだったし、今も好みます。ですが、コマキと友人であることを抜いても単独で茄子の不味さというものが想像できます。君の言う茄子の底知れぬ淡白さとかは苦手な人がいるよねーとかいう「言葉を理解する」レベルではありません。ぼくは食べながらも、その底知れぬ淡白さを捉え、嫌いもする。そういう意味で、なすの不味さというものが理解できる。少なくともわかった気でいる。
「まずさはわかる、しかしそこを乗り越えて、そここそが好きなのだ」という、反-反論と範囲の限定というかたちで、ぼくは茄子をより一層ただしく愛することができるのです。

これは食べ物の好き好みだけの話なのか、についてはまだわかりません。

Monday, June 6, 2011

アテンダンスポリシー2011

先月は7本しかブログを更新していないのはよくないよくないよくない。
よくないことは重要なことなので、3回書きました。

本居宣長の講義が地味に面白いためそのことを書こうと思いましたが、次回にします。

シラバスに「出席重視」とか書いておきながら初回で「まあ哲学の授業ですから出なくてもレポートこなせば構いません」「出席はボーナスポイントだけです。全部出た人に単位出さないわけにはいきませんので。出なくても結構」という撤回?を何回か目にするのだけれど、そういう風習というか文化みたいなものがあるのでしょうか。

「落とす」っていうのはなかなか面倒なんだよ、と親切な先生は言います。
そこから想像すると、「何と言おうと俺は出ない!」という過去の先輩の(有益かどうかは知らないが)頑張りと、落とすの面倒だしボーナスあげておくかという教員の慈悲との、せめぎ合いが現状を生んだのでしょうか。

それともそもそも何か「本質的に」出席を必要としないような伝統を正当化する理屈があるのか。
参考文献の引き方で流派の違いっていうのはわかるけれども、それを学部の講義における出席ポリシーにも適用するという話はきかない。それくらい学部の講義は担当の任意ってことなんだろうけど、その任意の偶然からなる集合なのかな。英国経験論みたい。