人いきれの為だけでなく、気分が悪い。それは寝不足の所為である。今朝は七時に起きて、一体私はそんな時間に起きた事がないので勝手がちがって、目がぱちぱちする様だったが、それから今こうして、十時にここまで出て来る間、わき目も振らずせかせかと、一心不乱にでかける支度をしたのだが、上厠したのと顔を洗ったのと、洋服を著たのとで三時間が経過した。勿論御飯を食べるなどと云う、そんな悠長な真似はしていられない。尤も腹が減っていると云うのは、私の一番好きな状態だから、御飯を省略したのは一向構わないが、何しろ、する事なす事一一にひどく手間が掛かって、何事もさっさと埒があかないのが困る。
だから午前十一時の汽車に遅れない様に乗ると云う事は、私に取って難事なる事を自分で承知しているから、今日の出発をきめて以来、昨日も一昨日も、朝は無理をして早く、八時に起きた。二三日の練習で癖をつけようと考えたのである。しかし何のたしにもならなかった。ただ眠かったばかりで、その日にそうした事が翌日の助けなぞになるものではない。朝は無理をして起きたけれど、つまり起きる方は無理を強行したけれど、夜寝る時に無理をして眠ってしまうと云う事はしなかった。矢っ張りいつもの通りなんにもしないで、いつ迄も何となく起きていて夜更かしをするから、朝早く起きただけ損をした事になる。それが一日じゅう残って、寝不足で気分が重い。二三日早起きして癖をつけるなどと云うのは、丸で意味のない思いつきだったと云う事が、後になってよく解った。寧ろその前日迄、何日間はふだんよりも、もっとよく寝ておいて、当日一日だけの寝不足にした方が余っ程利口であったと思う。
どこかへ出かけるのもいいが、朝の支度や寝不足や、そう云う事がつらいので、つい億劫になり出不精になる。人に頼まれたって引き受けるものではないが、阿房列車は自分で思い立ったのだから、少少眠くても仕方がないだろう。
内田百閒『第一阿房列車』(新潮文庫)
最後の段落で、この前引いた「旅」に関する二つの文章(冨樫、川上)から強引に早起きに結びつけます。
早起きするかしないかは、言ってみれば、内田百閒と宮沢賢治の違いなのかも知れません。午前中がプライムタイムだ、とかいうのはおそらく(うさんくさいけど「脳科学的にも」)定説なんでしょうが、実力をもって定説をひっくり返すというのは構図としては愉快ですね。
しばらくネット環境から外れますので、次回の更新はおそらく木曜です。
そのための準備に手間取る様を百閒先生は見抜いておられる。
■■暮らし
□前日就寝:5時
□起床:10時30分
□朝食:コーンフレーク
□昼食:コロッケサンド、豆乳、ぱっくんちょ
ぱっくんちょはディズニーの版権を豊富に使っている関係からか明らかにライバルと比べて価格対量が違いました。
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