波子の眼は、宇品の宿舎にいた頃から烈しく痛み出したという。尚よく聞いてみると、神戸を出て宇品へ行く汽車の中で、眼が痛むという友達にハンカチを貸したという。
私は、夜中であったが直ぐ親戚の眼医者に電話をかけた。そして明日にしますという波子を無理にその眼医者に連れて行ったが、私の想像通り、急性淋毒性結膜炎で、徹夜で二時間毎に薬を挿さねば失明するかも知れないという事であった。
私は波子を私の部屋に連れて来て、言われた通りの手当をして夜を明かしたが、彼女の眼は、全く濃い膿汁の中に沈んでいた。
私が徹夜で看病したのは、彼女が嘗て白泉の「青豆蝦仁」を掃除してくれたからなのか。それだけの理由からなのか。
疲れてウトウトしている波子は、私が二時間毎にゆり起こして眼薬を挿すたびに、かまわないでほしいと言った。かまわないでいれば、君の眼は明日の朝までにつぶれてしまうと医者が言ったではないかと言うと、「恩を受けたくないのです」とつぶやいた。
この言葉はひどく私を驚かせた。私に賤しい下心が無いとは言い切れないが、それよりも、今一眼を失うか助かるかの瀬戸ぎわで、男の親切が自分の苦労の種になるかも知れないという、その本能的な保身と、たとえ眼がつぶれても男とのトラブルから逃げたいという経験とに驚いたのである。
西東三鬼「神戸」より
『神戸・続神戸・俳愚伝』(出帆社)所収
「しゅっぱんしゃ」っていうギャグなのか。
贈り物に今さら後悔をするくらいにいい本だけれど、いい本だからこそ手元に置いておきたいとも思うのです。本棚を共有することを結婚とするならば、まあ現状いい線は行っているのではないか、だけれども弛まず努力しなければいけない、と思うと、僕も日銭を稼ぐ必要を感じます。いや、本棚は分けるべきか、預金口座と同じように。この本は良かれ悪かれ、呪いです。
No comments:
Post a Comment