ソクラテス うん、できるとも、ゼウスに誓って、われわれには。もしもわれわれが分別をもってさえすればね。まず、一つの仕方–––これが最良の仕方なのだが–––は、次のように言うことだ。「神々については、われわれは何も知らない。神々そのものについても知らないし、また名前についても、いったい神々が自分たちを何と呼んでいるのか、知らないのだ」とね。というのは、神々ならば、真実の名前を呼ぶことは、明らかだからね。次に、二番目に正しい仕方は、ちょうど祈りの際のわれわれの慣しのように、することだ。つまり、どんな名前であろうと、何にちなんでの名前であろうと、とにかく神々のお気に召す名前を、われわれもまた呼ぶことである。それ以外の名前を、われわれは全然知らないのだと考えてね。実際これは立派な慣しだと、ぼくには思えるのだからね。そこで、君にその意志があるならばだが、われわれは次のように神々に対していわば予告した上で、考察を始めようではないか。すなわち、「神々については私たちは何も考察しようとしておりません。なぜなら、自分たちに考察しうる能力があるとは見なさないからです。むしろ私たちは人間について、彼らがいったいどのような意見に基づいて神々の名前を定めたのであるかを、考察しようとしているのです」とね。なぜなら、これならば神々のお怒りを招くこともないだろうからね。
プラトン「クラテュロス」(岩波書店『プラトン全集』第2巻所収。水地宗明訳)
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