Monday, March 21, 2011

ロリコンとはもう二度と呼ぶな

 さて今から、次のような理論を紹介したい。九歳から十四歳までの範囲で、その二倍も何倍も年上の魅せられた旅人に対してのみ、人間でなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女が発生する。そしてこの選ばれた生物を、「ニンフェット」と呼ぶことを私は提案したいのである。
 ここでわたしが空間用語を時間用語で置き換えていることに、読者はお気づきになるだろう。実のところ、「九歳」や「十四歳」というのは嶋の境界線として思い浮かべていただきたい。鏡のような浅瀬と薔薇色の岩場がある魔法の島で、そこには我がニンフェットたちが棲息し、霧深い大海に囲まれている。その年齢の範囲内なら、どんな女の子でもニンフェットだろうか?もちろん、答えは否。そうでなければ、我々事情通、我々孤独な航海者、我々ニンフェット狂いは、とうの昔に気がおかしくなっているだろう。見目麗しさも判断基準にはならない。そして下品さというか、少なくとも社会がそう名付けるものも、ある種の不可思議な特徴を必ずしも損なうとは限らない。この世のものとは思えぬ優雅さ、つかみどころがなく、変幻自在で、魂を粉砕してしまうほどの邪悪な魅力、それこそが、たとえ年齢が同じでもニンフェットとそうでない者を分かつのであり、そうでない者は比較にならないほど一回限りの現象である空間世界に依存しているのに対して、ロリータとその同類たちは手で触れることのできない魅せられた時間の島で遊ぶのである。この同じ年齢範囲で、真のニンフェットの数は、目下のところ十人並みとか、単にいい子といか、「キュート」だったり、たとえ「かわいい」とか「魅力的」であろうが、ごく普通で、ぽっちゃりして、不恰好で、冷たい肌で、本質的には人間にすぎない少女たち、お腹がふっくらして、おさげが身で、大人になれば凄い美人になる者もいればそうでない者もいる(あの黒いストッキングに白い帽子姿のずんぐりむっくりした少女たちが、スクリーンの素敵なスターへと変身するのをご覧いただきたい)、そうした少女たちの数よりも圧倒的に少ない。女子生徒かガールスカウトの集合写真を渡されて、その中で誰がいちばん美人かと言われたら、正常な男性は必ずニンフェットを選ぶかというとそうともかぎらない。芸術家にして狂人、際限ないメランコリーの持ち主、下腹部には熱い毒が煮えたぎり、繊細な背骨にはとびきり淫猥な炎が永遠に燃えている(ああ、身をすくめて隠れていないと!)、そんな人間のみが、かすかに猫に似た頬骨の輪郭や、生毛のはえたすらりとした手足や、絶望と恥辱とやさしさの泪のせいでここに列挙することもかなわぬその他の指標といった、消しようのないしるしを手がかりにして、ただちに識別することができるのだ––––健全な子供たちの中に紛れ込んだ、命取りの悪魔を。彼女はみんなから悟られずに立っていて、自分が途方もない力を持っているとは夢にも思っていない。



ナボコフ『ロリータ』若島正:訳/新潮文庫
「ニンフェット狂い」が、正しく限定された呼称としたい。

1 comment:

  1. 読んだよ。
    途中にワイルドの劇のことばが出てきてうれしかった。
    vitamin

    ReplyDelete