Friday, April 15, 2011

もう一度読みます

明治憲法において「殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自律主義をとりながら、というよりも、まさにそれ故に、元老・重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意志が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が冥々に作用している。「輔弼」とはつまるところ、統治の唯一の正当性の源泉である天皇の意志を推しはかると同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的な異様を与えることにほかならない。さきにのべた無限責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任への転落の可能性をつねに内包している。

丸山真男『日本の思想』

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