『どういふわけでうれしい?』といふ質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい?』といふ問に対しては何人もたやすくその心理を説明することはできない。
思ふに人間の感情といふものは、極めて単純であつて、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩があるばかりである。
私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
あの病気にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コツプに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。
『どういふわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつては只々不思議千万のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも真実な事実なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫られて……この苦しい実感を傍人に向つて説明しようと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病気について特殊の智識をもたなかつた場合には彼に対してどんな惨酷な悪戯が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以てしても、この奇異な感情を表現することはできないであらう。
けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。
萩原朔太郎『月に吠える』序(岩波文庫)
■■感想
□マイケル・ポランニー
□ろごす
□「詩人としての才能」
□thought
□共有
□論理としての感情
■■生活
□前日就寝:3時ごろ
□起床:12時ごろ
□昼食:ざるうどん
□夕食:コーン抜きコーンシチュー(むらさきいも、たまねぎ、鶏胸肉、にんじん)
紫イモが入っているのでフルーチェみたいな不思議した色のシチューです。味はコンソメに近いクリームシチューで名実ともにコーンを失いました。不思議な色をめざして料理するのって面白そうです。
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