Saturday, April 16, 2011

松屋でも同じ事を思おうか

十二月×日
 朝、青梅街道の入口の飯屋へ行った。熱いお茶を呑んでいると、ドロドロに汚れた労働者が駆け込むように這入って来て、
「姉さん!十銭で何かくわしてくんないかな、十銭玉一つきりしかないんだ。」
大声で云って正直に立っている。すると、十五六の小娘が
「御飯に肉豆腐でいいですか。」と云った。
労働者は急にニコニコしてバンコへ腰をかけた。
大きな飯丼。葱と小間切れの肉豆腐。濁った味噌汁。これだけが十銭玉一つの栄養食だ。労働者は天真に大口あけて飯を頬ばっている。涙ぐましい風景だった。天井の壁には、一食十銭よりと書いてあるのに、十銭玉一つきりのこの労働者は、すなおに大声で念を押しているのだ。私は涙ぐましい気持ちだった。御飯の盛りが私のより多いような気がしたけれども、あれで足りるかしらとも思う。その労働者はいたって朗かだった。私の前には、御飯にごった煮にお新香が運ばれてきた。まことに貧しき山海の珍味である。合計十二銭を払って、のれんを出ると、どうもありがとうと女中さんが云ってくれる。お茶をたらふく呑んで、朝のあいさつを交わして、十二銭なのだ。どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとに朗らかだと思う。だけど、あの四十近い労働者の事を思うと、これは又、十銭玉一ツで、失望、どんぞこ、墜落との紙一重ではないだろうか––––––。


林芙美子『放浪記』

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