■一昨日のこと
新木場に行きました。
誘ってくださった先輩と結局会えなかったのですが、どうやらトイレの脇でゴミ袋と闘っているのを横目にしながら「まさかアレな訳ないよなあ、でも近くでまじまじと見るのもアレだしなあ」とスルーしていたのがおそらく先輩でした。
駐車場に叩き出されていたらしい先輩を「携帯電話が切れた」というもっともらしいアクシデントで救いに行けず、ぼくは、築地で海鮮丼を食べました。
芝浦から埋め立て地に入る「ぐるり」となっているところは、近未来って感じがして勢いづきました。なんかサイバーなのはコンピュータよりになりすぎて、ぼくはどちらかというと道路とかそういうのに興奮する性質なので、どうか才能あるエンジニア?クリーター?の卵のみなさんは破竹の勢いのITばかりでなく国土交通省あたりも進路の候補に入れてください。
■昨日のこと
特に何もせずに、手紙を書きました。おいしいものをたくさん食べました。塩風呂に長く入りました。ずっとお風呂&トイレで読んでいた『ガリヴァー旅行記』が残念なことに終わってしまったので、次は『カラマーゾフの兄弟』にしました。ベル・アンド・セバスチャンを聞きました。
■今日のこと
■ファッションとして装備する文学について
■映画館で眠ることについて
■トワイライトについて
■作者のナイーヴさ
今日はとてもよい天気だったので、陸を走る電車に乗りたいと思いました。
早稲田松竹にタルコフスキー「惑星ソラリス」を観に行きました。前日寝ていないので案の定途中で寝ました。
ぼくは、うとうとしながら、映画を観ました。ぼくは、自分が損をしたと思わないような理屈をこね始めました。教養課程の映画の授業、ある映画を一通り見せたあとに新入生に「何が見えたか」と尋ねる。すると哀れな新入生は「こうこうこういうドラマです」「こういう心情です」と筋書きや心情を教育国語の作法にのっとって答える。すると講師「そんなことをきいているんじゃない。『画面に何が映っていたのか』をきいているんだ」、つまり画面の中の構図や色彩についてきいたんだ、えええ筋書きじゃないの映画ってえええ、と衝撃を受けた、みたいな(すごく大雑把)話をききました。
そこから少しズレますが、ぼくは、長編小説について同じことを思いました。長編小説を「読み切る」っていうけれども、「具体的なエピソードとかってすぐ忘れちゃうんだよね」が結構本腰入れて夢中になって読んだ本でもあり得る(だってハリーポッターの諸エピソードとか人から急に話をふられても覚えてない)ことから、菊池寛が後生抱え続けた「筋」なるものは、文学談義の共通見解としても、もしかしたら信用できない。何も考えずにページを繰り文字を追うだけで「筋をわかっていない」ことと、行間まで読み込む勢いで6時から9時のコアタイムを利用して和室で正座して読んで「とてもよく読んだ」こと。この二つは決して比較ができない、ということです。読んだつもりの読み落としという存在が無限に認められる以上。
眼の活動の復旧とフィルムの古さに起因するブレとが重なったり、うつらうつらも佳境をむかえた後半は、止め絵偏差値の高い断片を「文脈もわからず」見続けることなどはなかなかに映画館らしい体験だったのではないか、というあたりで落ちをつけることができました。
そのあと、つづく「鏡」は諦めて、講読の授業を受けに戻りました。戻った次の次くらいで訳の当番が回ってきました。ついているのだと思います。
そのあと、恵比寿の写真美術館に行きました。トワイライトなんちゃらとかいうので、木曜日金曜日の5時半以降に入るとスタンプがもらえて、6つたまると招待券なのです。「写真新世紀展」などは入場無料なのでつまりは無限ループが可能なのです。しかもうちからバイクで10分もかからないし駐輪場は最初のどれだけかは無料です。というわけで来週も行こう。
見たのは、時間の関係もあって無料の「写真新世紀展」だけです。
ちなみに肝心の内容ですが、メモ程度にとどめておきます。
「印象とかイメージとか、お前ら何百年前から進歩してねーな」
作者がそれぞれ書いている制作意図がナイーヴすぎるのと感じるのはなぜでしょう。きみの頭の中のイメージとか見せられても、心底どうでもいい。「イメージを写真という実際に写した時点で『改変』されること」の意識が希薄なのか、もしくはそんなものは写真界では常識でもはやクリシェなのか。
クリシェだとしても、その意識をふまえた上でもあえてイメージとやらを絞り出しているようにしか見えないというところに鑑賞者を追い込む負け犬的方法の工夫や、改変そのものにイメージを重ねあわせるような変態を写真に教え込むことなどの意識がないので「またどこかできいたことのあるような」ばかりでした。評論家と作家を二分割するようなことを言う人がよくいますが、それは表象言語の違いとしては認めるにしても、考え
具体的なセンテンスを引かないと卑怯なんだが、それでも、お気楽だなー闘ってないなーと思いました。
椹木セレクションはなかなか面白かったです。HIROMIXの「終わったコンテンツ」感が漂っていましたが、しかし昨今の女子カメラは彼女が先鞭を打ちましたことには変わりないのでもはや写真史上の人物ですね。ホルガとかはともかく、女子カメラはエントリー用デジタル一眼がメイン?になりつつあるのは、一眼レフの道具としての使い勝手の良さなのかマーケティングなのか。
グッドマン『世界制作の方法』、せっかく買い直したのだから読もうと思いました。(しかし、買い直した奴は読まないというジンクスがある、バタイユ『エロティシズム』とか)
畠山直哉を見に、もう一度は行くはずだから、また併せて書こうかと思います。
黒沢清についても。あと上映会も。
■明日のこと
「平服で構いません」を罠だと感じ取ってしまうような疑心暗鬼の関係を打破したいと思いました。